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2012年11月18日 (日)

ブルドッグでも牛乳屋でも

リトル・ブラザー・モンゴメリーは歌う.

ブルドッグではないし
ブルドッグの息子でもないけれど
ブルドッグが来るまで
僕がワンコになってあげるよ

トボけた歌詞で,可笑しい.これは彼が1960年に録音してMagpieのLP,The Piano Blues - Unissued Recordings Vol.1 'These Are What I Like', Magpie PY4451に入っているI Ain't No Bulldogだ.

この「〜ではないし〜の息子でもないけど,〜がいない間自分が代わりに...」というパタンの歌は,1920〜30年代によく録音されている.ポール・オリバーはScreening Blues, Da Capoという本のThe Blue Bluesというセクションで,この歌詞が広く分布していたことを指摘している.

オリバーの本に出てくるのはジム・ジャクソンのI'm Wild About My Lovin'(I ain't no iceman, no iceman's son...),とボ・カーターのAll Round Man(Now I ain't no butcher, no butcher's son...)だけれど,これ以外にもある.

アイヴィ・スミスとカウ・カウ・ダヴェンポートのコンビが1930年に録音したMilkman Bluesもそうだ.アイヴィ・スミスはこういうスロー・ブルースで結構良い味を出す.女の歌手なんだけど,歌詞は男の立場で歌われているようで,「なんとかでも,なんとかの息子でもない」という形式になっている.

牛乳屋ではないし
牛乳屋の息子でもないけれど
牛乳屋が来るまで
僕がクリームをあげよう

ってヘンな歌だよ,これ.カウ・カウ・ダヴェンポートは同じ歌をI Ain't No Ice Manというタイトルで1938年にも録音している.

オリバーがScreening Bluesの中で示しているも一つの例は,ドロシー・スカーボローという人が1925年に出版した本に出ているものだ.「数年前に有色人種のメイドが歌っていたものとしてテキサス州の婦人が提供した」ということだから1910年代後半くらいのことを記録したものだろう.

医者ではないし
医者の息子でもないけれど
医者が来るまで
僕が熱をさましてあげる

同じ歌詞がアイヴィ・スミスのMilkman Bluesにも出てくる.この例で面白いのは,この後,後半の歌詞が“Oh tell me how long...”とHesitation Bluesになることだ.その後のHesitation BluesやHesitating Bluesでこの歌詞が使われているような気がしないが,そんなやり方もあったのだろう.

このパタンの歌詞の古い記録は他にもある.楽譜として出版されたブルースの研究書,Peter C. Muir, Long Lost Blues, University of Illinois Pressで読んで初めて知ったことだが,1916年にルイス・E・ゼラー(Louis E Zoeller)という人物が出版したThe German Blues: It's Naturalというのがそれだ.同書の著者が言う通り,1910年代後半以降の楽譜になったブルースは,民衆の(folk)のブルースがレコード上に現れる以前の貴重な記録になっている.

ブルースの歌詞の足跡をたどっていったら,どうやら1910年代までたどりついたという,そういうお話で.

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