2017年11月19日 (日)

さらば,名歌手

アナログの7インチ盤で流行歌を売っていた頃といえば,ずいぶん昔の話で,ひとりでに,そういう7インチ盤を作っていたアーティストの訃報を始終見ることになる.この一年ほどの間,ずいぶん色々な人が亡くなってしまった.

それにしても,どんな大物の訃報よりも,ネットで見つけたこの死亡記事にがっくりきた.

Stacy Johnson, Singer with Ike Turner and Benny Sharp and the Sharpees, Has Died

あわわわ,ステイシー・ジョンソン,今年の5月に死んでたのか!なんてこった.

ステイシー・ジョンソン,そりゃあすごい歌手だったのだけれど,録音は少なかったなあ.あれだけの才能だから,いつかはアルバムの1枚くらいは作るだろう,とずっと思っていた.ところが,どうも,アルバムらしいものを作ったという情報がない.ひょっとして,1988年のジョニー・ジョンソンのBlue Hand Johnnie(Pulsar LP1002/Evidence CD26017-2)の2曲で歌ってから,2017年に亡くなるまでの29年間,全然録音なしか?そうだとすれば,この実力者に対しあまりに不当な扱いだったのではないかね.

ジョニー・ジョンソンのアルバムで,ステイシー・ジョンソンが参加したトラックの1つは,ローウェル・フルソンのTalkin' Womanだけれど,その力強い歌を聞くと,こんな歌手はめったにいない,と改めて思う.その後,ろくに録音を残さず亡くなったのはブルース/ソウル界の大損失といわなければならない.同じアルバムで,バーバラ・カーも歌っているが,彼女の方は量,質ともかなりの録音を残したのに,どうしてこうなった?

Stacy Johnson, I Stand Alone b/w Don't Try To Fool Me, M-Pac! 7230.

Mpac7230 シカゴのジョージ・リーナ―のレーベルからのもので,鈴木啓志,Soul City USA − 無冠のソウル・スター列伝,(リトル・モア,2000年)によると,1966年の録音とのことだ.レーベルには1963年1月14日のコピーライト表示があるが,これはロゴ・デザインの著作権か何かだろう.ステイシー・ジョンソンは,セントルイスのギタリスト,ベニー・シャープのグループ,ザ・シャーピーズのメンバーだったということだが,ベニー・シャープやザ・シャーピーズもジョージ・リーナ―のレーベルでレコードを出しているし,彼らとセットで録音機会を獲得したのだろうか.

I Stand Aloneの方は,昔,Chi-Town Blues & Soul, P-Vine PLP-9005/6というLPでも出たことがある.音楽の方は両面ともジャンプR&Bか初期のソウル,という曲.I Stand AloneでもDon't Try To Fool Meでも,瞬間的な爆発力のようなものが非凡だと思う.

ステイシー・ジョンソンが残した録音については,鈴木啓志さんの前掲書で丹念に追跡されているが,全部かき集めてもたいした数ではなさそうだ.元気な頃には,セントルイスのクラブとかで,どんなふうに歌っていたのだろう.それにしても,あの世に持って行ったものが大きすぎるよ,ジョンソンさん.

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2017年11月12日 (日)

ニューオーリンズらしく

デイヴ・ディクソンをもう一つ.

Dave Dixon, I'm Not Satisfied b/w Feeling So Low, Ace 519.

Ace519 これは1956年5月の録音で,ディクソンがヒューイ・スミスのザ・クラウンズにもう参加した頃のもの.前回のSavoy盤と比べると,こちらはずっとニューオリンズR&Bらしさが濃厚で,うっかりすれば別人かと思うくらい.

Feeling So Lowは速めのテンポの,快活なブルースかR&Bか,という曲.気持ちの良い伴奏をバックに豪放に歌い飛ばす.伴奏陣は,テナー・サックスがリー・アレン,バリトン・サックスがアルヴィン・レッド・タイラー,ギターがジャスティン・アダムズ,ベースがローランド・クック,ドラムがアール・パーマー,ということで,メンバーは精鋭が揃っている.リー・アレンのソロもナイス.

I'm Not Satisfiedの方は,ゆったり,まったりとしたニューオリンズR&Bバラッド.ディクソンは伸びやかな声を張り上げ,情感豊かに歌っていて,良い出来だと思う.

Aceの録音は,英国Westsideレーベルがリイシューしていたが,このレコードも同レーベルでCD化されていたようだ.

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2017年11月 5日 (日)

ニューオーリンズらしからぬ

ニューオーリンズR&Bの隆盛を支えた人をもう一人.

Dave Dixon, Over The River b/w My Plea, Savoy 1126.

Savoy1126 ニュージャージー州ニューアークを拠点としていたSavoy Records社は,1953年と1954年の2回に渡り,A&Rマンのリー・マギッドやフレッド・メンデルソーンをニューオーリンズへ派遣した,このうち1953年の出張録音ではヒューイ・スミスとアール・キング(アール・ジョンソン)を録音しているから,なかなかの収穫だったように思う.もっとも二人共,Savoyではなく他のレーベルでヒットが出て,有名になったのだけれど.このデイヴ・ディクソンのSavoy盤は2回めの出張録音のときのもので,1954年2月19日に録音されている.両面とも良い出来だと思う.

Over The Riverは陰鬱なスロー・ブルース.曲の調子は,ウェスト・コーストでジミー・ウィルソンが演っていたような,その手のもの.ニューオーリンズR&Bに,なんとなく陽気なのが多いようなイメージを持っていたけれど,これは陰気.その点では,あまりニューオーリンズっぽさはないのかもしれないが,濃度の高いブルースであって,聴き応えがある.ディクソンの歌手としての力量が優秀なのは明らかで,美声を駆使し,力強い歌を聞かせる.

My Pleaもスローだが,こちらは甘みの増した,ブルース・バラッド.声も,歌いっぷりも只者ではない感じはある.この曲は「ローカル・ヒットになった(John Broven, Rythm and Blues in New orleans, Pelican)」そうだ.

デイヴ・ディクソンは,この録音の2年後には,ヒューイ・“ピアノ”・スミス・アンド・ザ・クラウンズのヴォーカル担当として,多くの録音をすることになる.自己名義の録音も,1956年にはAceレーベル,1960年にはHome of the Bluesレーベル,と少しずつ行っている.すごく有名になったとは言えないけれど,デイヴ・ディクソン,歌の実力はかなりのものだった.

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2017年10月28日 (土)

New Orleans Ain't The Same

Bear Familyの販促メールでファッツ・ドミノの死を知った.その訃報はテレビのニュース番組でも,新聞でも伝えられていた.少年の頃にラジオで彼のBlueberry Hillを何度か聞いたことがあるし,日本国においても,R&B好きな人だけではなく,洋楽ファンに広く親しまれていたと思う.

ファッツ・ドミノの最初期,1949年から1950年くらいの録音を聞くと,普通にブルース・シンガー/ピアニストの音楽だ.この,出発点ではニューオーリンズのローカルなブルース・シンガーだった人が,ポップ・スターとして幅広く,世界的な人気を獲得したというのは奇跡のようにも思える.

ファッツ・ドミノで個人的な愛聴曲というと,ImperialのコンピLPに入っていたEvery Night About This TimeとかGoin' Homeとかだろうか.やはりブルース気のあるのがいいなあ.

彼のシングル盤,持っていないこともない.

Fats Domino, Sweet Patootie b/w New Orleans Ain't The Same, Reprise 0944.

Reprise0944 これは,1970年の作品だそうだ.ファッツ・ドミノがRepriseと契約したのは,MercuryやBroadmoorの録音の後,1968年のことだった.Repriseがファッツの伴奏ミュージシャンとして用意したのは,テナー・サックスにキング・カーティス,ピアノにジェイムズ・ブッカー,ベースにチャック・レイニー,ドラムにアール・パーマー,といった人々だった.豪華なメンバーだが,ファッツ・ドミノと釣り合いが取れるのは,このレベルの人達だったということなのかもしれない.

このレコードを入手したのは,Sweet Patootieというのは,もしかして,昔からあるアレではないか,というのを確認したかったから.ファッツ・ドミノはアルバート・アモンズをコピっていた(日暮泰文,Fats' 88,ザ・ブルース,No.10,pp.60-62)→アモンズはSweet Patootieを演っている→ということは,ひょっとして?,と,こういう思考回路だった.聞いてみたら,全然違っていて,ポップなメロディーのR&Bだった.まあ,こんなもんでしょ.

New Orleans Ain't The Sameの方は,軽快かつリラックスした感じのニューオーリンズR&B.ブルース形式にサビを付けて,甘口にした,というような曲.ストリングスまで入るアレンジは大げさじゃないかと思うが,余裕と暖かみの感じられるファッツの歌い口は悪くない.

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2017年10月22日 (日)

熱いギタリストあらわる

このレコード,片方の面はずっと前に正規にCDでリイシューされていたが,アーティストの知名度はどんなものだろうか.

Bobby King, Two Telephones b/w Thanks Mr. Postman, Federal 12473.

Federal12473 同名のソウル・シンガーがいて,ややこしいが,こちらのボビー・キングは1960年代から1970年代に掛けてシカゴで活動したブルース・シンガーでギタリスト.前回,Living Blues誌にベニー・ターナーの記事が出ていたと書いたが,その記事の中でもボビー・キングの名前は出ていた.ターナーがディー・クラークのバンドに誘われたとき,ボビー・キングと演奏していた,ということなのだ.フレディ・キングのセッションの1つで,ボビー・キングがギター,ベニー・ターナーがベース,というものもあり,ベニー・ターナーとはつながりがあったようだ.

ボビー・キングは,Federalレーベルに1961年から1964年にかけて,7曲を録音している.そのうち4曲が1999年に出たCD,Chicago Blues, Ace(UK) CDCHD717に入っている.Two TelephonesはそのCDにも入っていた作品.1962年8月16日の録音で,スロー・ブルース.フレディ・キングとかバディ・ガイとか,そういうタイプの音楽.活きの良さはあって,歌に力は込められているけれど,それでも有名どころに比べるとヴォーカルは小粒だと思う.しかし,ギターの方は目立つ音色で,非凡なものが感じられる.

Thanks Mr. Postmanの方はAceのCDには入っていなくて,1961年11月21日の録音.非常にブルージーなジャンプR&Bで,こちらも若者らしい元気があって良い出来だと思う.ギター・ソロが大変に格好良い.

ボビー・キングことRobert L. Kingは1941年1月29日,アーカンソー州リトル・ロックで生まれたとのことで,このレコードを録音したときは20歳,あるいは21歳という若さだった.リトル・ロックでフェントン・ロビンソンにギターの手ほどきを受け,1959年にシカゴへ移り,活動がサニー・トンプソンの知るところとなって,トンプソンが録音していたFederalでレコードを出すことになった.Federalレーベルでは,フレディ・キング,リー・ショット・ウィリアムズなどのセッションでギタリストとして起用されている.Federal録音の後は,1968年にWeisレーベルのシングル盤があって,1975年にはフランスのMCMからLPを出している.1977年にはライヴ録音をしていて,カセットで出ているそうだ.

キングは1980年前後に健康を害し,1983年7月22日に42歳の若さで亡くなってしまった.Living Blues誌58号にディック・シャーマンが彼の追悼記事を書いているが,それを読むと,彼のギタリストとしての評価は非常に高かったらしい.また,その記事には,ライヴ録音のカセットが日本国でアルバムになるようなことが書かれているが,それは実現しなかった.

ボビー・キング,もし健康で,あと20年くらい長生きして,アルバムをいくつか作っていれば相当な人気者になっていたのではないか.

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2017年10月15日 (日)

サバイバーの正体

この人が何者なのか,はっきり分かる日が来るとは思ってもいなかった.

Benny Turner, I Don't Know b/w Good To Me, M-Pac! 3090.

Mpac3090 ジョージ・リーナ―のM-Pac!レーベルから出た,ベニー・ターナーという人物のレコード,1963年1月のコピーライト表示がある.ところが,The Blues Discography 1943-1970には載っていない.これは,ちょっとブルース音楽からは外れる,という判断があったからかもしれない.1960年代のリーナ―のレーベルらしい,シカゴのソウルとブルースの境界のような位置づけの作品ではある.

I Don't Knowは,High Heel Sneakersを速くしたようなリフも使っていて,その辺はブルースに近いのだが,ゴスペルっぽい効果もかなり使って,特に最後の方は初期ソウルの雰囲気になる,というもの.リッキー・アレンなんかにも近いようにも思う.Good To MeはR&Bバラッドで,それなりの重みと暖かみがある,というもの.両面とも凄いとも思わないが,悪くないシカゴR&Bだろう.

このレコードを入手して30年くらい経つのではないかと思うが,ベニー・ターナーとは,1960年代のシカゴに居た,誰だか良く分からないR&B歌手,と認識していた.それが,なんと,Living Blues誌の最新号(251号)の特集は,他ならぬ,このベニー・ターナーなのだ.記事によると,最近CDを出していて,Survivor: The Benny Turner Storyという本まで出したのだという.本って,...本を出すほど有名だったのか,この人.

彼は,これにも驚いたのだが,有名シンガー/ギタリスト,フレディー・キングの5歳年下の弟なのだそうだ.キングのバンドのベース奏者として音楽家としてのキャリアを開始して,1959年にはディー・クラークのバンドに加わり,彼のVee-Jay録音に参加したという.その後,ジョージ・リーナ―に紹介され,One-derful!やM-Pac!から自己名義のシングル盤を出すことになる.1960年代から1970年代にはフレディー・キングと行動を共にして,キングの1964年8月のセッションに参加している.キングの死後はマイティー・ジョー・ヤングなどとも活動したが,ニューオーリンズへ移って,マーヴァ・ライトのバンドのベース奏者として成功し,自己名義のCDも何枚か出した,という経歴だそうだ.

1960年代にジョージ・リーナ―のレーベルで録音していた連中,マッキンレー・ミッチェルやジョニー・セイルズやオーティス・クレイやロニー・ブルックス...みんな既にこの世の人ではない中で,ベニー・ターナー,よくぞ生き残ったものだ.78歳になったそうだが,これからも元気でいてほしい.

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2017年10月 9日 (月)

ブルース・ハーモニカの源流

前回紹介した本,Blues for Francis (Music Mentor Books)の118ページ,「白人のレコード会社は1920年台までは基本的に黒人音楽を録音しなかった」という文に脚注がついている.その脚注は,「カズンズ・アンド・デモス,ディンウィディー・カラード・カルテット及び多くのジュビリー・グループによる録音,それにヨーロッパで行われた驚くべき数の録音によって,この説は今では成り立たないものと研究者は考えている」としている.そうだ,この「ヨーロッパで行われた驚くべき数の録音」のことを書こうと思っていたのだ.

1920年代以前に,ヨーロッパで録音された黒人音楽を,可能な限り集めたCDのボックス・セット,というのが販売されている.Black Europe, Bear Family BCD16095,というのがそれだ.LPサイズ,厚さ8.5cmの箱に収められたCDの数は44枚,これに300ページほどの解説書が2巻,これはライナーノーツなどではなく,ハードカバーの「本」というべきもので,ずっしりと重い.その他に解説書の索引やディスコグラフィカル・データのpdfファイルを収めたデータCDもついてくる.お値段も重量もそれなりのものだ.

さて,CDが44枚あっても,大半はさほど興味がわかない.アフリカン・アメリカンのものは4割くらいだろうか.残りはアフリカ大陸の人がヨーロッパで録音したものだ.アフリカン・アメリカンのものでも,ブルース好きが聞けるものはさらに限られる.それでも,いくつかは聞く価値がある.

この大仰といってもよいCDセットを買い込んだのは,ピート・ハンプトンの録音が一気に76トラックもリイシューされたからだ.これまでは3曲くらいしか聞いていなかったので,こんなにCD化されていると知ったときは,かなり驚いた.ピート・ハンプトンは,1871年,ケンタッキー州ボウリング・グリーン生まれの歌手,ハーモニカ,バンジョー奏者で,1903年に英国に渡り,同年から1910年までの間,英国で多くの録音を残している.

ハンプトンの録音で,特に重要なのは,何バージョンか収められた(The, Dat) Mouth Organ Coonだろう.1904年のNicoleレーベルに録音された2つのテイクが良いと思う.何やらのどかな調子の歌で始まるが,やがて曲は加速し,ラグタイム・ピアノをバックにハーモニカ・ソロが始まる.リズミカルに,ノリよくハーモニカを吹きながら,「わうわー」と叫んだりするのだが,聞いていると,「これは,だいたいサニー・テリーみたいなもんだね」と思う.誰しも考えることは同じとみえて,分厚い解説書にも,「何十年も後,サニー・テリーのレコードで1940年代以降に広まったスタイル」と書かれている.音をベンドする技術もいくらか使われている.とにかく,これがアフリカン・アメリカンによるハーモニカ演奏として最初に録音されたもので,後の録音とのつながりも感じられるのだから,重要なものだろう.

ハンプトンの録音では,他にI'm Goin' To Live Anyhow Till i Dieというのも良い.これもラグタイム・ピアノをバックにノリがよく,バージョンによっては「ウェーイ!」とシャウトして盛り上げたり,なかなかのものだ.黒人作曲家のシェップ・エドモンズが1901年に発表した曲で,楽譜としてよく売れたらしい.1920年代には白人ミュージシャンによって何度か録音されたそうだが,黒人の間でもそれなりに知られた曲と思われる.というのは,ハンプトンの録音から55年後,1959年にミシシッピでアラン・ロマックスが録音したギターとヴァイオリンのデュオ,マイルス・プラッチャーとボブ・プラッチャーのI'm Gonna Live Anyhow 'Til I Die (リイシューはYazoo Delta Blues and Spirituals, Prestige LP25010など)に,この曲の痕跡が見えるからだ.

他に,Peter C. Huir, Long Lost Blues, University of Illinois Pressで「プロト・ブルース」とされ,後にスタンダード化したBill Bailey, Won't You Please Come Homeが何バージョンも収められているのも注目される.

ハンプトンは,Poor Mournerなんて曲も録音している.故ポール・オリヴァーが,Songsters and Saintsの中で,フランク・ストークスのYou Shallと結びつけて解説していた歌で,米国ではスタンダード・カルテットやカズンズ・アンド・デモスによって1890年代から録音されていた曲だ.ところが,この録音はレコードが見つからないらしく,残念なことにCDには入っていない.黒人作曲家ボブ・コールとジョンソン兄弟の有名曲で,何人かの歌手が録音しているUnder The Bamboo Treeもレコードが見つからなかったようで,CDに入っていないが,これも聞いてみたかった.

CDセットには他にも注目作はあるが,それらについては,またの機会に.他のリイシューで出ていたものもあるが,音は良くなっている.例えば,ザ・ヴァーサタイル・フォーのDown Home Rag(1916年録音)などは不朽の傑作,と思っているが,以前のDocumentのリイシューなどよりずっと良い音だ.

高価なボックス・セットを特に勧めるわけではないが,紹介はしておきたかったので.




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2017年10月 1日 (日)

出版物から(3)

何ヶ月か前に入手した本で,ちゃんと読んではいないが,Caroline Beercroft and Howard Rye, Blues for Francis - The life and Work of Francis Wilford-Smith, Music Mentor Books, ISBN 9780956267955というのを持っている.

フランシス・ウィルフォード=スミス,といえば,かつてMagpieレーベルで驚異的なピアノ・ブルースのLPシリーズを監修し,その後,Yazooでもピアノ・ブルースのCDシリーズを監修していた英国人,ということで知る人ぞ知るところであろう.彼は1927年生まれで,Yazooのシリーズは次に何が出るか,と思っているうちに,2009年に亡くなってしまった.彼は,本業としてはカートゥーン作者として有名だったそうだが,ブルース,とりわけピアノ・ブルースに関する見識の高さは抜群だった.

この本の大まかな内容は,色々な人のウィルフォード=スミスに関する思い出,彼が家(Trumpets Farm)に招いて録音をした6人のピアノ奏者,彼が持っていたBBCのラジオ番組用原稿,に分かれている.分量的に多いのは,BBCのラジオ番組用原稿の部分だが,レコードは戦前録音が多く,これをラジオで掛けていたのか,エゲレス国は進んでいるな,と思ってしまう.

その,ラジオ番組用原稿の部分だが,レコードを掛けながらお話をしたようだが,アーティスト名,曲名,レコード番号,レーベルのスキャンがあって,それでレコードにまつわる文章がある,という形式になっている.ん?これ,当ブログと書式だけは似ているぞ.いや,レコードと書いていることのレベルで,こっちは落ちるけど.

Magpieのあのシリーズをやっていた人だからといって,彼がラジオで掛けていたのはピアノ・ブルースばかりでもない.1980年3月に「悲劇と災害」をテーマに放送したときはチャーリー・パットンのHigh Water Everywhereも掛けているし,同年2月に「監獄」をテーマにした放送では,サム・コリンズやロバート・ウィルキンスと共にカルビン・リーヴィのCummins Prison Farmを掛けている.また,ゴスペル音楽を流すこともあったようだ.

そうはいっても,やはり,ピアノ関係でマニアっぽさを見せていて,それが面白いと思う.ジェシー・ベルが弾いている(かもしれない)エリザベス・ワシントンのレコードとか,彼以外にラジオで流す人がいるだろうか.

フランシス・ウィルフォード=スミスという人物に興味があれば,欲しくなる本だろう.

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2017年9月17日 (日)

出版物から(2)

最近のLiving Blues誌,#250では,アレックス・ヴァン・デル・トゥーク(カタカナがこれでよいかどうか,分からない)のブラインド・ジョー・レイノルズに関する記事が面白かった.この記事はThe New Paramount Book Of Bluesという本からの抜粋なのだそうだが,その本はまだ見ていない.

ブラインド・ジョー・レイノルズは,1930年にParamountに録音したOutside Woman Bluesなどで知られている.ミシシッピ・ブルースのジャンルに分類されてきた人だ.録音後70年以上が経過した2001年になって,Ninety Nine Blues b/w Cold Woman Bluesがようやく発見,復刻された,なんていうこともあった.その70年ぶりに日の目を見たCold Woman Bluesというのはかなりの傑作ではないかと思う.

ブラインド・ジョー・レイノルズに関しては,ゲイル・ディーン・ワードローがリサーチをしていて,その結果はHe's A Devil of a Joeという記事(Chasin' That Devil Music, Miller Freeman Booksに収められている)で発表されている.それによると,次のことが分かったとされている.

(1)タレント・スカウトのH.C.スパイアはブラインド・ジョーをルイジアナ州レイク・プロヴィデンスの近くの製材所のバレルハウスで発見した,と言っていること.
(2)ルイジアナ州モンローで演奏していたジョー・シェパードという人物にたどり着いたこと.
(3)シェパードは1968年に亡くなって,ワードローは接触できなかったものの,その甥はレイノルズの録音を自分の叔父によるものと認めたこと.
(4)シェパードはヴィクスバーグから20マイルのルイジアナ州タルラーで育ったこと.
(5)「レイノルズ」という偽名は,タルラーの北数マイルにある地域の名称から付けたものかもしれないこと

このワードローのリサーチは,多くの証言に基づいたもので,疑う余地があるようにも思えない.ところが,ヴァン・デル・トゥークによると,ブラインド・ジョー・レイノルズはジョー・シェパードとは別人かもしれない,ということなのだ.

ヴァン・デル・トゥークは,まずParamountレーベルのマトリクス番号に着目している.レイノルズの録音の番号は次のようになっている.

L-144-3 Outside Woman Blues
L-145   Ninety Nine Blues
L-146-2 Nehi Blues
L-147   Cold Woman Blues

この直前にはウェスト・バージニアのアーティスト,直後にはセントルイスのアーティストのグループが録音している.例えばセントルイスのバレルハウス・バックはL-152,L-153,チャーリー・マクファデンL-154,L-155,となっている.そうすると,番号のつながり具合からすれば,レイノルズとセントルイスに何か関係があるかもしれない,ということになる.

記事は,レイノルズがレイク・プロヴィデンスでスカウトされたということは否定していないのだが,Paramount録音の後,同じスタジオに居た他の音楽家と共にセントルイスへ移住したのではないか,と推測している.

レイノルズは,Paramountの後,Victorにブラインド・ウィリー・レイノルズの名前で録音する.そのVictorで録音された曲名の中に,Third Street,それからGoose Hillという地名が出てくる.ゲイル・ディーン・ワードローは,ベス・ミラージという人の証言として,これらがヴィックスバーグにあった場所だとしている.ところが,ヴァン・デル・トゥークはグース・ヒルという地名がヴィックスバーグにあったという証拠はない,としている.一方,イースト・セントルイスには,グース・ヒルと呼ばれる地区が今でもあるという.

グース・ヒルがイースト・セントルイスの地域であれば,サード・ストリートもイースト・セントルイスに以前存在した有名な歓楽街のように思われる.ピーティー・ウィートストローが住んでいた,という地域だ.確かに,地名に関してはこちらの可能性が高そうに思われ,レイノルズがセントルイスかイースト・セントルイスに居たというのは辻褄が合いそうだ.

ところで,セントルイスのある住人の死亡証明書が発見されている.死亡の日時は1931年3月21日午後11時45分,死亡したのは37歳くらいの黒人で,氏名はジョー・レイノルズ,職業は「ミュージシャン」.出身地はアラバマ,となっているそうだ.これがレコードを出していたブラインド・ジョー・レイノルズなら,レイノルズがセントルイスの住人だったという仮説は正しそうに思われる.そうだとすれば,1968年まで存命だったジョー・シェパードの方は「人違い」となるのだが,どうなのだろう?

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2017年9月 3日 (日)

出版物から(1)

Zydecodisco Robert FordとBob McGrathによるThe Zydeco Discography 1949-2010 (Eyeball)を買った.これは,The Blues Discographyみたいな大判の本ではなくて,ブルース・アンド・ソウル・レコーズ誌などと同じ大きさの本だ.

ザディコはあまり聞かないけれど,これを見ると,そうか,それでも1%くらいは聞いているな.この本は382ページだから,3ページか4ページ分くらいだなあ.

少し前にJ・J・ケイリアー(カタカナがこれでよいのか,分からない)のレコードのことを書いたとき,どうもデータが分からなくて,それで,この本も持っていた方がいいんじゃないか,と思って入手したわけ.

それで,どうもJ・J・ケイリアーというのが今活躍中のJ.J. Caillier IIIとは違うんじゃないか,とは思っていたが,このディスコグラフィーを見たらはっきり分かった.やはり,このケイリアーはJ.J. Caillier IIIの父だった.1986年ラフィットで録音されたもので,息子のケイリアーIIIはキーボード,アコーディオンはファーネスト・アーセノー,サックスとウォッシュボードがキャット・ロイ・ブルサード,などというメンバーだそうだ.

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